「暮らしのなかの月」(1979年、1980年の記録から…)

星と人びととのかかわりの多様性

 星と人びとは、生業だけではなく、暮らしの様々な場面でかかわっていた。例えば、信仰、年中行事等にわたって、星と人びとはかかわってきた。「星」だけではなく、太陽や月とも様々なかかわりがあった。従って、信仰では北辰信仰、月待、三日月さま等、年中行事では七夕、十五夜等、「暮らしのなかでの星・月・太陽の広範囲で多様なかかわり」をこのホームページで考えていきたい。

二十三夜さまに子どもに恵まれるよう願う…

 群馬県吾妻郡嬬恋[つまごい]村門貝では、月齢23の月−二十三夜さまは子どもの神さまで、子どものできない人が信心すれば子どもに恵まれると伝えられていた。

 サンジョサマ(オリオン座三つ星)ののぼる頃に山に出かける準備をしたり、炭焼き小屋の窓から北斗星(北斗七星)を見て、まだ夜中とか夜が明けると判断したり−というように、星と人びとは生業において深くかかわるとともに、月齢23の月が信仰に深くかかわってきたのである。

 門貝には二十三夜塔もたてられていたが、明治四三年の大水害のときに流されてしまった。

 小花波平六氏は、庚申懇話会編『日本石仏事典』(雄山閣)で、「月待塔は、特定の月齢の夜に集まり、月待の行事を行なった講中で、供養のしるしに造立した塔である」と述べている。そして、月待塔のなかで最も普遍的なものが二十三夜塔で、全国的に普及していると指摘している。

 二十三夜塔をもとめて歩き続けた。

 二十三夜塔に出会うことができたのは、嬬恋村西窪であった。年齢を聞くのを忘れたが、55歳くらいの商店のおばさんは、二十三夜さまの思い出を次のように語った。

「二十三夜さま(月齢23の月)のあがるまでご飯をゆっくら食べて、ずーと歩いていくと、長野原のちょっと下(しも)までいくと、二十三夜さまはあがる。二十三夜さまがあがれば帰ってくる。そうすると願い事がかなった。近くにあるたばこ屋さんの家で、子どもがあってもあっても死んで、あるとき、男の子が一人生まれて、その男の子が達者に育つようにということで、この二十三夜さま(二十三夜塔)をたてて、それからはずーと子どもができて三人生まれて元気に育った」

 嬬恋村では二十三夜さまに子どもに恵まれることを願った。

百姓の取り入れの神さまとしての二十三夜さま

 群馬県利根郡水上町藤原では、百姓の取り入れの神さまであった。

「二十三夜さまはお庚申。その日がお庚申の日でなくても、二十三夜さまはお庚申さま。百姓の取り入れの神さま。小豆を供える。三夜さまのあがるまで今夜は遊ぶべ、と言って飲み食いして遊ぶ。12時頃にお月さま上る」

  月齢23日の月が上がる時間は当然のことながら常に12時頃ではなく、午後11時頃のときも夜中1時頃のときもある。また、実際に山から現れるのはさらに遅くなる。群馬県桐生市梅田町には、二十六夜塔があるが、月齢26の月の出は、夜中3時頃になることもある。

 

   

二十三夜塔(群馬県吾妻郡嬬恋村西窪)       二十三夜塔(群馬県新田郡藪塚本町)  

 

 月の「天文民俗学博物館」へようこそ

  それぞれの月齢の月と人とのかかわりをたずねてみませんか

    (月の写真 湯村宜和氏撮影)

    

     月齢6           月齢7(旧暦七夕の月齢)         月齢8

   

    月齢9             月齢10            月齢11

 

     月齢12

 

      月齢21           月齢22

    月齢24

三日月さま

  三日月さまの信仰が群馬県、栃木県等に伝えられている。

(群馬県利根郡水上町藤原の事例)

「三日月さまは、疣(いぼ)のおかんじょうするとか言ってね。疣を治すとかいうので、三日月さまに線香進ぜて、線香三本ずつ三日、三ヶ月、三日一晩三月(みつき)拝むから治してくださいと言う」

「毎月、三日月さまを拝んでいると災難にあわない。夕方の忙しいときに見えて、たちまちかげっちゃうからあまり見えない」

 

三日月塔(栃木県足利市梁田町)

 

 

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