日本の星座の誕生（星名形成の地理的条件等）
（１）はじめに−調査研究の歴史
野尻抱影氏は、大正15年、諏訪の矢崎才治氏が「一升ぼし」「つりがねぼし」という呼び名を知らせてくれたことについて、「そういう生まの方言が八ヶ岳の山村に現存していようとは考えてもいなかったので、ひどく感動した」（１）と述べている。日本の星名はまさに失われようとしているという危機感から調査が進められ、その全体像は、次のように次第に明らかになっていった。
野尻抱影『日本の星』研究社、1936
内田武志『日本星座方言資料』日本常民文化研究所、1949
1948年に、桑原昭二氏は、『日本の星』を読み終え、兵庫県の星名が皆無に等しくオリオン座の和名に西脇市の「からすきぼし」があげられているのみであったことに疑問を持ち、1950年より調査をはじめられた（２）。桑原昭二氏が記録された星名は、1957年の『日本の星』及び『日本星名辞典』、『星の和名伝説集 瀬戸内はりまの星』（３）『星の和名と分布』（言語学林1995−1996）に掲載されている。
石橋正氏は1948年より調査をはじめられ、その記録は、1957年の『日本の星』及び『日本星名辞典』に掲載されている。最近の記録は『天界』に掲載されている（４）。
また、増田正之氏、千田守康氏、三上晃朗氏をはじめとする調査研究が積み重ねられた。それらの調査研究の一部については、『続 日本アマチュア天文史』で述べた（５）。
このように、長年にわたる調査があり、もっとも若輩の私が星名・伝承の形成とその特徴を書くのは適当ではない。しかし、試論を進めていくうちに、今の時点でその概要をまとめ、お叱り、ご指導を受けた上で発展させていく必要性を感じた。お許しいただきたい。
（２）日本の星名・伝承の形成の地理的条件
日本の緯度は、もっとも北の北海道宗谷岬では北緯約45.5度、もっとも南の沖縄県波照間島（６）では北緯約24度と、20度以上ちがう。このような緯度の範囲の星空には、次のような共通点と相違点がある。
●共通点
�（�角を知るための目標として、北極星（こぐま座α星）を用いることができる。
�∋�刻や季節を知るための目標として、順にのぼっていくプレアデス星団、ヒアデス星団、オリオン座三つ星、シリウスを用いることができる（７）。
●相違点
�‥賈牝酩瑤魘�界として、カノ一プスを見ることが可能な地域と不可能な地域に分かれる。
�∨牟棒韻旅眦戮�２０度以上もちがう。最北端の高度は、最南端の倍近くになる。
�Ｋ未蓮∨姪夕契韻気蕕砲魯�ペラが周極星になる一方で、南は北斗七星のすべての星が周極星とならずに地平線下に没する。
周極星になる南限と水平線上にのぼる北限（２０００年）
|
星座 |
星名 |
赤緯（度） ２０００．０ |
周極星になる南限 （北緯）（度） |
|
ぎょしゃ座 |
α（カペラ） |
＋４６．００ |
４４．００ |
|
おおぐま座 |
α |
＋６１．７５ |
２８．２５ |
|
β |
＋５６．３８ |
３３．６２ |
|
|
γ |
＋５３．７０ |
３６．３０ |
|
|
δ |
＋５７．０３ |
３２．９７ |
|
|
ε |
＋５５．９７ |
３４．０３ |
|
|
ζ |
＋５４．９３ |
３５．０７ |
|
|
η |
＋４９．３２ |
４０．６８ |
|
星座 |
星名 |
赤緯（度） ２０００．０ |
水平線上にのぼる北限 （北緯）（度） |
|
りゅうこつ座 |
α（カノープス） |
−５２．７０ |
３７．３０ |
周極星になる南限と水平線上にのぼる北限（１８００年）
|
星座 |
星名 |
赤緯（度） １８００．０ |
周極星になる南限 （北緯）（度） |
|
ぎょしゃ座 |
α（カペラ） |
＋４５．７８ |
４４．２２ |
|
おおぐま座 |
α |
＋６２．８３ |
２７．１７ |
|
β |
＋５７．４４ |
３２．５６ |
|
|
γ |
＋５４．８１ |
３５．１９ |
|
|
δ |
＋５８．１５ |
３１．８５ |
|
|
ε |
＋５７．０５ |
３２．９５ |
|
|
ζ |
＋５５．９８ |
３４．０２ |
|
|
η |
＋５０．３１ |
３９．６９ |
|
星座 |
星名 |
赤緯（度） １８００．０ |
水平線上にのぼる北限 （北緯）（度） |
|
りゅうこつ座 |
α（カノープス） |
−５２．５９ |
３７．４１ |
周極星になる南限と水平線上にのぼる北限（１６００年）
|
星座 |
星名 |
赤緯（度） １６００．０ |
周極星になる南限 （北緯）（度） |
|
ぎょしゃ座 |
α（カペラ） |
＋４５．５０ |
４４．５０ |
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おおぐま座 |
α |
＋６３．８８ |
２６．１２ |
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β |
＋５８．５０ |
３１．５０ |
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γ |
＋５５．９１ |
３４．０９ |
|
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δ |
＋５９．２７ |
３０．７３ |
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ε |
＋５８．１５ |
３１．８５ |
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|
ζ |
＋５７．０３ |
３２．９７ |
|
|
η |
＋５１．３３ |
３８．６７ |
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星座 |
星名 |
赤緯（度） １６００．０ |
水平線上にのぼる北限 （北緯）（度） |
|
りゅうこつ座 |
α（カノープス） |
−５２．５０ |
３７．５０ |
ところで、時代をさかのぼると、歳差の影響を受ける。西暦1600年と1800年の場合について、その影響は以下のようになる。
�� 共通点については、大きく影響を受けない。1600年になると、こぐま座α星は現在の約３倍−約2.9度天の北極から離れるが、方角を知るための目標として用いることはできる。順にのぼっていくプレアデス星団、ヒアデス星団、オリオン座三つ星、シリウスの出の間隔はほとんど影響を受けず、時間を知るための目標として用いることができる(８)。
�∩螳稘世里覆�で、カノ一プスは、ほとんど影響を受けない。周極星になる南限は、時代をさかのぼると、カペラについては北へ、北斗七星については南へ移動する。（表、図参照）（９）
図 日本の星名・伝承形成の地理的条件
（３）日本の星名・伝承の形成の歴史的条件
漁業や農業等、暮らしのなかで使用された星名のなかで中国の影響を受けたものが一部に見られるが、大部分は日本固有の星名である。
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中国の影響を受けたホッキョクセイ、ホクトシチセイという星名がそのまま暮らしのなかで用いられた。そのなかで、北斗七星については、「古く推古時代に、陰陽道・天文暦術とともに百済から伝わった星名で、初めは専門家だけが口にしていた学名と思われる」と野尻抱影氏が述べているように、人びとの暮らしのなかに浸透したのは比較的後の時代である（１０）。桑原昭二氏は、その浸透の要因について、「北斗七星は、日露戦争で中国東北部（満州）の広野でまよってはいけないと軍隊で教えられたもので、明治の終わりから急速に広まった星名のようである」と指摘している（１１）。
私も、「軍隊で北斗七星と習ったが、漁師仲間ではナナツボシと呼んでいた」というケースに出会った。
また、ネノホシという星名は、十二支で真北の方角を子（ね）ということに由来しており、これも中国の影響を受けている。その他、北極星では妙見星（ミョウケンボシ）、北斗七星では、ハグンセイ、ハグンノホシがある。
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北海道の先住民族「アイヌ民族」は、様々な星名を伝えているが、日本の星名は直接的な影響を受けていない。
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星名で直接的な影響を受けていないものの、七タ・羽衣伝説、石垣島のムリブシオガン（１２）などについては、関係があるかないか、さらに研究する必要があろう。
（４）日本の星名の特徴
日本の星名・星座は、全天をくまなくカバーしているわけではない。どのような星に星名形成が集中する傾向があったかまとめると次のようになる。
�‥澆寮浦造棒洩招狙�が集中する傾向
夏の明け方に星を目標にするケースが多かった。例えば、夏のイカ釣りの漁師は、プレアデス星団、ヒアデス星団、オリオン座三つ星、シリウスと順にのぼっていく星をめあてにした。その結果、必ずしも冬に目標にするのではないが、冬の星座に星名形成が集中した。
��他にない特徴のある配列に星名形成が集中する傾向
次のような他にない特徴のある配列が注目されて、星名形成が集中する傾向があった。
・オリオン座三つ星…三つほぼ同じ明るさの星がほぼ同じ間隔に見事にそろっている星は他にない。
・プレアデス星団…広大な空に小さくごじゃごじゃとかたまっている星は他にない。
�８�やすい１等星に星名形成が集中しない傾向
日本の１等星の星名の種類は少なく、例えば、リゲルやベテルギウスは、三つ星のように広範囲に多様な星名が形成されていない。豊富な星名が形成されているのは、１等星のなかで、もっとも見るのが困難なカノープスである（１３）。
注
(1)野尻抱影『日本星名辞典』東京堂出版、1973、pp.1-2。
(2)桑原昭二「星の和名とその分布」『言語学林1995-1996』三省堂、1996、p.840。
(3)桑原昭二『星の和名伝説集 瀬戸内はりまの星』六月社、1963
(4)石橋正「星の名さがして55年」『天界 Nos.939-944 』東亜天文学会、2003-2004。
(5)北尾浩一「天文民俗学」『続 日本アマチュア天文史』恒星社厚生閣、1994。
(6)沖ノ鳥島の方が南に位置するが、この島は有人島ではない。
(7)例えば、ニューシ゛ーラント゛付近の緯度では、このような順には登場しない。(「天文民俗学試論(79)」参照)
(8)北尾浩一『星の語り部』かもがわ出版、2002、pp.56-61。
(9)大気差を考慮していない。また、標高セ゛ロメートルの場合を考えた。1600年と1800年の赤緯は、次の文献による。（Paul V.Neugebauer, Sterntafeln von 4000 vor Chr. bis zur Gegenwart,1912）
(10)野尻抱影、前掲書、p.3。
(11)桑原昭二、前掲書、1996、p.848。
(12)群れ星（プレアデス星団）の御嶽
(13)天文民俗学試論（80）参照。
(東亜天文学会『天界』の「天文民俗学試論」のホームページ版です)