浪速の名船頭 徳蔵の伝承

1 徳蔵と大阪

 野尻抱影氏は、「瀬戸内海の沿岸一帯では、浪速の名船頭、桑名屋徳蔵の女房が初めてネノホシの動きを発見したと伝えている」(傍線は引用者)1)と述べている。また、小池章太郎氏は、「実在の人物として『雨窓閑話 うそうかんわ』(著者、成立年未詳)や『伝奇作書』(西沢一鳳著、1851成立) に伝えられる。これらによれば、徳蔵は大阪回船問屋桑名屋某の船頭で、渡海術のベテランであったという」(傍線は引用者)2)と述べている。このように大阪とかかわりの深い「徳蔵」であるが、筆者の知る限りにおいては大阪府下に北極星と関係する伝承は記録されていない。(表1、表2参照) そこで、調査を行なったところ、大阪府下において、以下のような伝承を記録することができた。

(1)大阪府岸和田市大工町のケース3)

 北極星が動かないことを発見したケースである。発見者は徳蔵の妻であり、徳蔵の出身地は大阪ではなく兵庫と伝えられていた。

「クワノトクゾウやなくてクワノトクゾウのおくさんが、針仕事してて、余の星さん動いてるけどその星さん動かへんいうて。クワノトクゾウいうのは兵庫県の方の人」

(2)大阪府岸和田市中之浜町のケース4)

  徳蔵の伝承は伝えられていない5)が、北極星の動きを伝えていたケースである。

「キタノホシは屋根の瓦3枚しか動かん」

(3)大阪府泉佐野市のケース6)

 北極星が動くことを発見したケースである。発見者は、徳蔵及び妻の両方であり、徳蔵が北極星の呼び名として伝えられていた。

「北極星いうのは、三寸あがって三寸さがったら夜明けるいうて…。あれ、トクゾウボシいうて、昔はクワナイトクゾウいう人があの星を見つけたいうんだ。ええ、トクゾウボシいうんだ。それがキタノヒトツボシなってやなあ。今の学問から言ったら北極星や。大阪の築港に松の木を植えて、北極星見て、北極星見ても位置わからない。かめあわして…、一晩に三寸動いた」

「トクゾウのおくさんが針仕事してて、障子の破れたのを見て、障子の桟だけしか動けへんのやった。その星さん、それから三寸いうんかな」

(4)大阪府田尻町のケース7)

  徳蔵の伝承は伝えられていたが、星に関係する伝承は伝えられていなかったケースである。

「クワナイトクゾウ…、ちょっと昔、明治のもっと前、羽倉崎でキツネいて、どうたらこうたら聞いたけど。キツネ食べて、魚の目だけ食べて…。紀州から魚積んできて大阪着いたら魚の目ん玉なくなっていた」

2 大阪府下の徳蔵の伝承の特徴

 大阪府下の徳蔵の伝承のなかでも泉佐野において記録したものには以下のような他の地域の伝承にない特徴がある。(表1、表2、表3、表4参照)

(1)徳蔵の名前が「徳蔵星」という北極星の呼び名になっている点。

(2)北極星の動きの発見者が、「徳蔵」と「妻」の両方で、その発見の方法も異なること。

 泉佐野に伝えられている伝承のなかで、「大阪の築港に松の木を植えて…」とあるが、実際に松の木はあったのだろうか。

 大阪の木津川口の波止場の松について以下のような記述がある。

「図4(引用者注:1847(弘化4)刊の『金毘羅参詣名所図絵』) をみると、この木津川口の波止場の長さは八七〇間余で、そこに松の木が植えられて千本松と称したが、これも天保三年(一八三二)に木津川の浚渫にともなって整理されたものであろう」8)

 松の木があったとしても、実際に1800年頃に発見できたであろうか。

 北極星即ちこぐま座α星と天の北極との距離は、表5のように時代をさかのぼるにしたがって大きくなっていくが、1800年でやっと1゜.8である。半径1゜.8の円を描いて動くのを肉眼で発見することは困難であろう。少なくとも1600年代までさかのぼって半径2゜.9即ち月が6個並ぶくらいの半径の円を描いて動くくらいにならないと発見できなかったであろう。

 徳蔵の妻が北極星が動くことを発見したという伝承は、表1、表3のように広範囲に伝えられており、おそらく1600年代の北極星の動きを発見できた頃には語られていたものであろう。その伝承に後の時代に徳蔵自身が発見したという伝承が加わったのではなかろうか。

 

1)野尻抱影「北極星を語る」『星の民俗学』講談社(学術文庫)、1978、p.16。

2)小池章太郎「桑名屋徳蔵」大隅和雄他編『日本・架空伝承・人名辞典』、1986、p.198。

3)筆者による調査。調査年月:1985年2月。話者生年:大正14年。

4)筆者による調査。調査年月:1985年1月。話者生年:昭和7年。但し、話者の出身は大阪府堺市。

5)北極星の動きについての伝承は伝えられているが、発見するという伝承が伝えられていないケースである。本事例は、徳蔵の伝承の一部が失われた可能性もあるが表3より除外した。なお、発見者が「船乗り」と伝えられている徳島県鳴門市のケースは表に含めた。

6)筆者による調査。調査年月:1985年2月。話者生年:明治43年。

7)筆者による調査。調査年月:1985年2月。話者生年:明治42年。

8)柚木 学「近世の大阪とみおつくし」『大阪春秋61号』大阪春秋社、1990、p.26。

9)下記の文献による。

 野尻抱影「浪速の名船頭」『星の民俗学』講談社(学術文庫)、1978、pp.19-21。

 アチックミューゼアム『瀬戸内海島嶼巡訪日記』、1940、pp.193-194。

 宮本常一『周防大島を中心としたる海の生活誌』未来社、1994、p.216。

10)下記の文献による。

 内田武志『星の方言と民俗』岩崎美術社、1973、pp.276-277。

(1999年10月、大阪市立博物館にて開催されました談天の会で発表させていたいただいたレジュメをもとに作成しました)

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