いかりぼし

   

 いかりぼし (湯村 宜和氏撮影)              イカリ

 イカリを星空に描く (湯村 宜和氏撮影) 

 宮崎県延岡市のおじいさん(大正9年生まれ)は、北極星のまわりをまわる星ぼしについて記憶をたどりはじめました。 

「北斗七星と言わなかった。ナナツボシと言いよったですね」

 軍隊では北斗七星と習ったのですが、漁師仲間ではナナツボシと呼んでいました。しかし、最近は、おじいさんも、ナナツボシではなく北斗七星と呼ぶことが多くなってきました。

「あれは、あの柄杓の水のところを4倍か5倍かのばしたところに、あの北極星ありますよね。あれとさっき言ったカシオペヤ。Wはイカリボシ言いよった。これもやっぱり北極星を見つけるための星ですよね。イカリボシと北斗七星の中間にこれを中心にしてまわりますわね」

 おじいさんは、ナナツボシとともにカシオペヤの呼び名「イカリボシ」を伝えていました。話者のほとんどは西洋名を伝えていません。従って、和名を聞いて、その星の特徴や見える季節等を聞いてどの星を意味するか同定するのですが、おじいさんの場合は軍隊で西洋名を習っていたのでカシオペヤという西洋名を先に話してそれからイカリボシという呼び名を語ってくださいました。念のため、イカリボシというのが本当にこの地域で伝承されたものかどうか、書物からの知識でないかを確認します。

北尾「イカリボシいうてここらの人が言ったのですか」

おじいさん「イカリに似てるじゃないですか。W字が」

北尾「カシオペヤいうのは軍隊で習ったのですよね」

おじいさん「そうですね。こちらの人はイカリボシ」

 軍隊に行ったのは昭和一五年で、イカリボシを覚えたのはその前でした。最初に船に乗った頃の話を聞きます。

「学校出てから、一四か一五かで高等科出て、それから二十(はたち)、一九かな。正確に言えば一八歳と五ヶ月くらいまでが漁師ですね。あとの五ヶ月が五・六ヶ月が旭化成へ行ったです」

 14・15歳で船に乗って、延岡にある旭化成に行くまでの4・5年の間にイカリボシを覚えたのです。

北尾「イカリボシ教えてくれたのはいっしょに行った人ですか」

おじいさん「いや特に教えてもらったわけではなく、あれはイカリボシやとかいうやつを聞いてね」

北尾「何歳くらいで一人前、星なんかわかったのですか」

おじいさん「学校卒業したらすぐ覚えたですよ。漁師は必ず覚えないかん何ですからね。星というやつは」

おじいさん「何でもかんでも星は年寄りの人は口に出しますからね。すぐ覚えたす」

 特に年輩の人から、星の名前を教えられるわけではなかったのです。年輩の人同士の話を聞きながらイカリボシがどの星かを覚えたのでした。特に、方角を知るのに重要なキタノヒトツボシとそれを見つけるためのイカリボシ、ナナツボシは真っ先に覚えました。知識の習得において、「教える」「学ぶ」という意識はなく、星空という共通の環境の下で働き、そのなかで自然に覚えていったのでした。

 星を目標にしたのは、夜間の漁だけではありません。

「夜航海(やこうかい)と言って、夜、航海するのが。その場合、いちばん星が。星が見えなかったらコンパス相手ですよね。あしたの操業のために今晩の五時頃出るのですよ。ずっと走って、南走って。南走って沖合い走るのですよ、潮、速いから。沖合い走ると潮が速いから。沿岸をずーとのぼってですね。戸崎の鼻いうて青島の方にありますよ。戸崎鼻てね。それから南東に出してくるのですよ。潮に逆らってね。そして、60マイルくらいまで走って縄を入れるんですよ」

 まぐろ釣りのときは足摺岬の向こうの方まで星を目標に航海したのでした。山が見えないほど沖に出たら星とコンパスが頼りでした。そのときの星空の思い出を語ってくださいました。

「沖合いですからね、天気やったら満天の星ですわね。そんなときミツボシさん、オリオン星座なんか……」

「イカリボシがあそこにあってあんな格好するから、どの方向に北極星が。いろいろありますからね、北斗七星がわかってイカリボシがわからん場合もあるし、その逆の場合もある」

 星は、時間と方角の目標になりました。方角を知るためには北極星を、時間を知るためには三つ星を頼りにしました。しかし、おじいさんの時代には、時計の普及に伴ない、星は、むしろ方角を知るために重要なものとなっていったのです。

「時計と星は全然違いますからね。時計は時間ですから。星は位置ですから。漁師は、星と時計とはですわね、切り離せん何ですから。わからんでしょ、どの方向で何時間走ったいうのは、時間がないと。これは、重要な切っても切れないあれです」

「キタノヒトツボシがあっこなら、あの方向に船、走らせるのですよね。キタノヒトツボシを左に見たら東やという格好になるでしょ」

 キタノヒトツボシ(北極星)を左に見て船を進ませると東に向かっているのでした。そして、何時間走らせたかによって、どれだけ東の位置にいるか知ることができたのです。

「満天の星、今もそうですか。今も昔といっしょのように見えますか」

 そう尋ねると、「いやー。今、見えんですわ。空気が汚れてね。雨の降った後なんか見えますけどね」という答がかえってきました。

「戦争から帰って何だかんだ文化が発達してですね。星とかなんとか見られんようになったです。電気が発達してね。昔、山を見て操業してたのですが、今は、山、見えんです。かすんで……」

 高等小学校を出た頃は、昔ながらの星とのかかわりが続いていました。時計が普及しはじめて、時間を知る星−スバルや三つ星とのかかわりは小さくなっていったのですが、方角を知るためのキタノヒトツボシやそれを見つけるためのイカリボシ、ナナツボシとのかかわりは続きました。一方で、軍隊で気象学を学び、新たな星とのかかわりが生まれました。このような時代とともに変容していく星とのかかわりのなかで生きてきた人びとの言葉を記録しておくことは今しかできません。あと、何十年後、あるいは何百年後、星とのかかわりが大きく変容していった時代の言葉を意味づけようとした人が困らないように、可能な限り多くの言葉を記録し続けたいと思います。

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