第1節 続 プレアデス星団

<2>明け方の南の空での出会い

 野尻抱影氏は、スバル、スマルの星名が分布する地域に、「スマル(スバル)九つ夜は七つ」という一種の俚諺が広く伝えられていると指摘した(1)

 越智勇治郎氏によると、「九つ」は、星の数ではなく、昼の太陽が九つ時(真昼)に南中する位置で、南中すると夜は七つ時(午前4時頃)という意味である(2)

 野尻氏は、二百十日(9月1日)頃の午前4時頃で、蕎麦(そば)蒔きの目標として教えた農事訓だと指摘している(3)。内田氏は、「すばるまんどき粉八合」と唄いながら、臼で蕎麦を挽いたと記録している。プレアデス星団が夜明けに南中したとき(まんどき)に蕎麦を蒔くと、もっともよく実って、一升の実から八合の粉が穫れるほどという意味だと推測されている(4)

 午前4時に南中する時期は、二百十日(9月1日)頃だろうか。

 プレアデス星団が午前4時に南中する日は、歳差という現象によって、時代をさかのぼるとともに変化する。

 内田氏が伝承を記録している静岡県御前崎市の場合、西暦2000年には9月15日であったのが、1900年は9月14日、1800年は9月12日、1700年は9月10日と少しずつ早くなっていくが、さらにさかのぼらないと、9月1日の午前4時には南中しない(5)。しかし、七つ時は、午前4時00分ではなく、ある程度の幅がある。また、厳密に南中でなくても九つ時の位置と見ることができる(6)

<3>一晩中見ることが可能な期間が限られているプレアデス星団

プレアデス星団を一晩中見ることが可能な期間は限られている。一晩中見ることが可能な期間は、沖縄県竹富町で約30日、鹿児島県鹿児島市で約34日、静岡県御前崎市で約37日、北海道札幌市で約47日(西暦1900年、太陽高度−10度の場合)と、北に行くほど長くなる。しかしながら、1400年まで時代をさかのぼっても大きく変化しない。(図1参照)

一晩中見ることが可能な時期は、時代をさかのぼると早くなり、例えば鹿児島市で2000年は11月2日〜12月5日頃なのが、1400年は10月24日〜11月26日頃(太陽高度−10度の場合)となる(7)。(図2参照)

  

 図1 一晩中見ることが可能な日数

 

日の入り後にすぐ出会うことができる時期が一晩中見ることが可能な期間のはじまるときであり、その時期を、愛媛県喜多郡長浜町では、ナマコが岩の間から出てくる目標とした。

 沖縄県竹富島の星見石でプレアデス星団を観察したのも、この時期だった(8)。        


図2 プレアデス星団を一晩中見ることが可能な期間(太陽高度−10度の場合)


日の入り後のプレアデス星団の高度は少しずつ高くなっていく。

プレアデス星団が日の出前に沈むようになる時期が、一晩中見える期間が終わるときである。

 瀬戸内海の水軍の『能嶋家傳』に記録されている「すまるの入に替るは日和損する也」は、そのときを悪天候を知る目標とした例である。プレアデス星団が夜明け前に沈んでいく時期を気象予知の目標とする伝承は今も広範囲に伝えられている(9)。その他、その時期を「霜がおりるとき」と伝承していたケースもある。次のように、この時期の夜明け方、西の山に沈んでいくのを見て麦蒔きの目標としたケースもあった。

「すばるの山入り麦蒔きのしん」(10)

また、内田氏によると、夜明け前に西に沈み見えなくなると、「サンマも少なくなったろう」と漁家では話し合う…と伝えられている(11)。  

 プレアデス星団が西に沈む時刻は1日約4分ずつ早くなる。そして、5月の日の入り後、如何なる時刻にもプレアデス星団を見ることができなくなる時期を迎えるのだった。

                

(1)野尻抱影『日本星名辞典』東京堂出版、1973、pp.108-109。

(2)同上、p.109。

(3)同上

(4)内田武志『星の方言と民俗』岩崎美術社、1973、p.5。

(5)アストロアーツのステラナビゲータVer.7 を用いて算出した。本稿においては、プレアデス星団の位置は、おうし座η星を用いた。

(6)その他、午前4時(JST)に南中する日は、地域によっても異なる。例えば、静岡県御前崎市より西に行くと、午前4時に南中する日は遅くなり、兵庫県姫路市の場合、2000年は9月18日、1900年は9月17日、1800年は9月16日、1700年は9月14日となる。(前掲(5))

(7) プレアデス星団を一晩中見ることが可能な期間及び時期についても、ステラナビゲータVer.7 を用いて算出した。なお、1400年にはユリウス暦法が用いられていたが、現行のグレゴリオ暦法(ユリウス暦日+9日)に換算している。

(8)1900年の日没後、太陽高度−10度の場合、11月4日以降、プレアデス星団はのぼっている。高度は、11月4日は約0.2度、7日は約2.0度、8日は約2.7度までのぼっており、立冬の頃という伝承と合致する。(前掲(5))

(9)大阪府岸和田市、鳥取県気高郡青谷町、鹿児島県熊毛郡屋久町等で伝えられている。なお、プレアデス星団の沈む時期は、歳差という現象により変化していく。伊予の水軍の時代のプレアデス星団の入りは、現在よりも早い時期になる。気象現象にはある程度の変動があるのでそのことが気象予知の信頼性に直ちに影響しなく、現在まで目標にされていた。

(北尾浩一『星と生きる 天文民俗学の試み』かもがわ出版、2001、pp.101-104。)

(10)内田、前掲書、p.10。

(11)同上、p.12。              

 (本ホームページは、東亜天文学会『天界』に掲載されました『天文民俗学試論』をもとにまとめたものです)

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